アエタ族は、約2万年前に、マレー半島を経由してフィリピンに渡来してきたと言われるネグリート系の先住民族です。縮毛・低身長・暗褐色の肌が身体的な特徴で、ピナトゥボ山を中心にサンバレス・パンパンガ・タールラック・バターンの各州の山間部に点在しています。

外部からはアエタ族というひとつの民族として定義されることが一般的ですが、アエタ族内部では実際にはその生活地域から分類していくつかのグループが存在しています(例えばサンバレス州内ではアンバラ・マッグアンチ・インドゥコド・アエタンサンマルセリーノ・アエタンボトラン・アエタンカバンガン・ティーナ等)。


*本地図は青年海外協力隊の岩田様と平岡様がご好意で作成してくれたものです。

 1991年6月のピナトゥボ山噴火以前は、ほぼ大多数のアエタ族の生活について、下記の様な既述があてはまっていました。


●自然の様々な事象(滝・巨木・大岩等)に存在する精霊を崇拝し(善霊アニト・悪霊カマナ)、その精霊の長であるアポナマリヤーリが住むとされるピナトゥボ山付近で主に生活。このアニミズムは彼らの生活様式の根幹を成しており、タリピと呼ばれる伝統的ダンス、マガニトと呼ばれるシャーマンを介してのヒーリング等がその一例。



●主な生業として弓矢や空気銃を利用した狩猟(野豚・鹿・野鳥・蛇・こうもり・トカゲ・川魚等)、採集(バナナ原種のつぼみ、マンゴー・カシューナッツ・ジャックフルーツ・パパイヤ・レモン等の果樹)、農耕(主に焼畑によるキャッサバ等イモ類・バナナ・トウモロコシ・豆の栽培、陸稲や水稲も一部では栽培)等があり、これらを多角的に(生存戦略としてひとつの生業に依存するのではなく、並行して実施することで不測の問題に対応する)実施してきた。
これらの生業は豊富な森林を基盤としたものであり、塩を除いてはほぼ自給自足の生活が可能であった。貨幣経済は浸透してはおらず、これらの収穫を必要に応じて平地の商人や集落内のアエタ族と物々交換することが一般的であった。



●ルバイ(ふんどし)に弓矢とナタが男性、バヒルゥンにネックレスと竹かごが女性の一般的な正装であり、一夫多妻も認められていた。その結婚様式にも、バンディと呼ばれる婚資(男性側から女性側への貢物)の支払い等特徴を持っている。



●多くのアエタ族は、焼畑等の生業のスケジュールに沿って山中を定期的に移転していくことが一般的であった。そのため、コミュニティーという概念は希薄。集落(sitio=シチュー。フィリピンの最小行政単位はバランガイ(日本で言う町)であるが、そのバランガイ内に点在する集落)が存在し、集落の役員等も設置されていたが、これらの役員と同等に氏族(同姓)単位の長(主に男性)の意思が反映されていた。


しかし、ピナトゥボ山の噴火以降、アエタ族は生活の激変を強いられることとなりました。



 噴火発生時、アエタ族は平地の避難キャンプに移住することを余儀なくされました。この際、山から降りることを拒否して、山中の洞窟に非難したアエタ族の多くが火砕流によって死亡するという事件も発生しました。
また、避難キャンプに移住したアエタ族も、雨季や洪水と重なった劣悪なキャンプの環境下で、平地の疾病に対して免疫を持たなかったため、特に乳幼児に死者が多発するという悲劇も起こっています。


その後、政府が主に国有地を開拓して用意した、再定住区での生活が開始されました。当事者の選択によって緩やかに生活様式が変化していくことが一般的であることに対し、この噴火は、アエタ族にその生活基盤であった森林の喪失をもたらし、短期間にその生活様式に激変を強いる結果となったのです。この結果、アエタ族の生活様式に急激な平地文化の摂取が行われ、現在ではアエタ族の生活様式も多様なものへと変化しています。大きく分類すれば、主に現在では下記の3つの様式が存在しています。



@再定住区への定住
政府により土地と家が無償で提供され、設置後2年程度は緊急援助として食料の寄附、医療サービス、都市部での優先雇用等が行われました。しかし、平地での生業に従事した経験が少ない、異なる言語、貨幣経済への不慣れ等から、新たな平地での生活には多くの困難が伴いました。
また、提供された土地は農業に適したものであるとは言いがたく、焼畑等伝統的な農耕の実施も困難でした。この結果、何とか平地社会に適応し、現在では平地の生業に従事して平地民とほぼ同様な生活を行う家族もいれば、この提供された土地を売却し、山中に戻る家族、この再定住区にも家と土地を有して、生業によって山中との移動を繰り返す家族、通学等の理由から子供をこの再定住区に残して親は山中で生活する家族等が見られています。


A山中への復帰
 平地での生活が困難であり、かつてのような生活を行うために、元の生活地域である山中に移住した家族も見られます。上述の様に再定住区の土地を売り払って完全に生活の中心を山中に戻した家族もいれば、再定住区との定期的な往復を繰り返す家族も見られています。
アエタ族のかつての豊かな生活の基盤は、その豊富な森林にありました。しかし、噴火以降現在に至るまで、依然として火山灰が多く山中に降り積もっており、かつての様な多角的生業は困難な状況です。そのため、現在ではバナナ原種のつぼみ・竹・コゴン(屋根等に使用される草)の採集、火山灰土壌でも栽培が可能なキャッサバ・バナナ・パパイヤ等の栽培が一般的であり、生業が非常に限られているのが現状です。そのため、平地部での肉体労働にも並行して従事する家族も見られます。


B独自の再定住区への定住
 全体から見れば非常に小数ですが、内外のNGOの助力を得て、独自で再定住区を設置して生活している例も見られます。例えば、ピナトゥボ山南西部サンバレス州カスティリヤホス・サンマルセリーノ行政区内でアエタ族が中心となって活動するNGOであるAeta Development Association, Inc.が内外の協力を得て設置したカナイナヤン集落等。ここは噴火の被害が比較的少なく、水源を有する、農業が可能である等の点を考慮して設置されたものです。また、他の2つに比べても内外のNGOのプロジェクト対象地となることが多く、集中的に多種のプロジェクトが実施されていることから、他の生活地域に比べると、安定した様子が窺えます。町にも比較的近いため、この集落では平地での生業、山中での作物(バナナ・米・キャッサバ・野菜)の栽培等を並行して実施している状況です。


 上述の様に、噴火以前はほぼ共通した生活様式が見られたアエタ族ですが、現状ではその生活様式も多岐多様に渡っています。
全体的に言えば平地文化の摂取の影響が多数派であり、信仰もキリスト教徒が一般的で精霊信仰が少数派に、服装も平地と同様の衣類が一般的でふんどしが少数派、タリピやマガニトも少数派となりつつあります(ただし、バンディは収入を得る貴重な機会であるため、依然として結婚時には多数派の習慣になっています)。




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