*本地図は青年海外協力隊の岩田様と平岡様がご好意で作成してくれたものです。


ACTIONで主に事業を実施しているバリウェット集落は、ピナトゥボ山(Mt.Pinatubo)の南西約10km、サンバレス州サンマルセリーノ行政区サンタフェ町(Sitio Baliwet, Barangay Santa Fe, San Marcelino, Zambales, Philippines)に位置します。ここはフィリピン政府が定めた約5,000ヘクタールのアエタ族のリザベーションエリア内にあたる場所です。この集落にはかつては約200家族のアエタ族が生活しており、焼畑や狩猟、採集や水稲耕作等豊富な森林を利用し、ほぼ自給自足の生活を行っていました。

 

しかし、他集落のアエタ族と同様に、1991年6月に発生したピナトゥボ山(Mt. Pinatubo)の噴火以降、同集落住民も、その生活に大きな変化を強いられることとなりました。噴火当時、バリウェット集落は大規模な火砕流に襲われ、ほとんどの住民がサンマルセリーノ(San Marcelino)・スービック(Subic)・オロンガポ(Olongapo)市のニューカバラン(New Cabalan)の避難キャンプを転々とすることとなりました。そして、その後、政府によって設置された同市のイラーム(Iram)再定住区で、同集落住民は仮設住宅と土地の無償提供を受け、再定住区での生活が始まったのです。しかし、提供された土地は粘土質で農業に適するものではなく、更に平地での生業を持たないアエタ族が、全てにおいて貨幣を必要とする平地での生活に適応していくことは非常に困難なことでした。再定住区移住直後は、食糧の配給やオロンガポ市内での建設作業等への優先雇用等の支援もありましたが、それらも徐々に打ち切りとなっていったのです。この結果、それでも平地での生活に適応しようというアエタ族がいる一方で、山の集落に再び戻り、山での生活の再開を試みるアエタ族も多く見られました。

噴火前・噴火直後・現在のバリウェット集落付近の様子

 現在のバリウェット集落には、このような経緯を経て再び戻ってきた元住民・元はよりピナトゥボ山付近で生活していたが、その地域が完全に火山灰に埋もれたため移り住んできた人々等56家族202人(2004年4月時点)が生活しています。
しかし、この山中での生活を再開したアエタ族には大きな困難が伴っていました。噴火以前のアエタ族の生業の特徴は、その多角性にありました。これは具体的に、ひとつの生業を中心に行うのではなく、野豚や野鳥等の狩猟、焼畑や陸稲栽培等の農耕、マンゴー・カシューナッツ等果樹や野生バナナのつぼみ等の採集を常時多角的に実施することで、これらの生業のいずれかに不足が発生しても他の生業で補完することで生活の安定性を確保していくというものです。このような多角的生業によって、アエタ族はほぼ自給自足の生活を可能としてきました。しかし、これら全ては豊富な森林というひとつの基盤に支えられていたものです。その基盤である森林を噴火で喪失したアエタ族にとって、このかつてのような多角的生業を行うことはほぼ不可能なことでした。

現在のバリウェット集落の様子
                                        

 現在のバリウェットには、依然として60〜100cmの火山灰が積もっており、集落の住民は火山灰が比較的薄い山地の斜面等を利用して、火山灰土壌にも育つ芋類のガビやキャッサバ、バナナ等の作物の栽培、山中でのバナナ原種の蕾や竹の採集、平地での建設労働・近隣の平地集落での小作や家畜の管理人等のわずかな生業に頼っているのが現状です。
かつては物々交換を主流とし、貨幣経済を必要としないアエタ族でしたが、自給自足が不可能な現在、貨幣経済は彼らの生活から切り離せないものとなっています。しかし十分な所得を持つことが困難な状況であり、平地に集団で簡素な小屋を設置し、平地での日雇労働に従事しながら集落でもわずかな農業を行うという生活スタイルも多く見られています。また、これらの集落に至るには公共の交通機関は存在せず、降り積もるラハール(火山性泥流堆積物)が雨季に雨で押し出されて発生する洪水も頻発してしばしば町へのアクセスが絶たれるため、雨季には平地や他の集落に集団で移動するという状況も見られています。
        

乾季は左の写真の様に砂漠化するラハールですが、雨季には右のような泥流となり、しばしば横断が不可能となることがあります。




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